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決意



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   私は   
 一体どうしてしまったのだろうか。
 先ほどから震えが止まらなくなってしまっている。
 不安だけが心に過ぎっている。
 そんなはずはない、そんな事はないと思いながらも最悪な言葉が頭の中を支配する。
 けれども拳をきつく握り締めて唇を噛み締めて、体中に走る震えを精神力で止めてしまおうとする。
 周りからは諦めの声ばかりが届く。
 凌統殿は先ほどから落ち着きがなく、地面に行き場のない気持ちをぶつけたり、遠い地平線をきつく睨み付けている
 私は実のところ、凌統殿がここまで感情を露にするとは思っていなかった。
 確かに普段から何かと甘寧殿に突っかかって行って騒がしい人である事は十二分に知っていたが、その中にもどこか冷静な部分を持っていたような気がしていた。
 否、正確には諦めの良さ、のようなものがあると思っていた。
 それは思い違いだったのだろうか。
 凌統殿を見ていた時、ふと気がついた。
 違う事を考えると身体が震える程に不安だった事を一瞬でも忘れてしまっていた自分に   
「……私は、残酷ですね」
 自嘲的な笑みを地面に向かって浮かべた。
 智を持って戦場に貢献する人間は勝つためには冷静で、時には冷酷で残酷でいなければならない。
 武器を持って戦う者もそうだ。人を殺める為には残酷にならなければならない。
 それが戦場。誰かが死に誰かが生き残る場所。


 そう例えば、一番大切な誰かが居なくなったとしても   


「……いいえ、そんな事あってはいけません」
 彼は、孫呉にとって大事な武将であり、私の   
「陸遜」
「…はい」
 凌統殿が苛立ちの隠せない表情で目の前に来る。
 彼がこれから私に言おうとしている事は十分に予想できている言葉だろうと思う。
 何故なら、私たちは待ち続けているだけだからだ。


 戦場が戦場でなくなっても還って来ない、あの人を。


「駄目です」
 凌統殿が口に出す前に否定した。
「なんでっ!」
「危険だからです」
 大きな戦いの火は消えたが、種火となるような小さな火は消えたとは限らない。だから凌統殿を行かせられない。
「他にも連れて行けばいいだけだ!」
「……もし何かあった時、貴方まで失うわけにはいきません」
「何かあったんなら余計に探しに行かないと駄目だろ!」
 彼の言うことも尤もであるが、呉の事を考えると凌統殿も居なくてはならない人材。
 失えない   呉の為に。
「それでも貴方が行くことではありません。戻って来ないと言うのならばそれは   討死されたと言うことです」
 口の中が乾く。
 何故こんな思いたくもない事を口にしているのだろう。
 私は今どんな顔をしているのだろうか。
 普段と変わらない表情でいれるだろうか。
 冷静で居なければならない。呉国の為に冷静で   
「陸遜、お前っ! 甘寧が死んだって言いたいのか!?」
 そう、冷静でいなければ   


「私だってそう思いたくないですよ!」
 気がつけば勝手に言葉が出ていた。
 そして、自分の声に驚いた。
 何故こんなに掠れた声になっているのだろう、と。
 閉じていた貝は一度開いてしまえば閉じる事が出来ない。
「探しにだって行きたいんです! 貴方に許可だって出したいですっ! でも出来ないんですよ! 孫呉の事を考えなければいけないんです。だからっ……軍師であるから、出来ないんです…っ!」
 周りにいた兵士たちが驚いたような顔で私の事を見ていた。
 そんな中凌統殿は少しも驚いていなかった。
「だから、俺が行くっつーの」
「貴方はまだそんな事っ!」
「違うって。俺なら陸遜が行くより呉にとって損はしない」
「……っ」
 呉の為と考えるならそれは正しいのかもしれない。
「罰もお前が行くよりはずっと軽いし」
 周りに兵たちが居なければ見なかった事にして、と送り出す事も出来るかもしれない。
 だからどうしても凌統殿は違反したとして罰を受けなければならなくなるのだ。
「……」
 凌統殿にすっと背を向けた。許可は出さないから勝手にしろと言うこと。
 甘寧殿を探してくれるのを祈って   
 その時。
「陸将軍!!」
 全速力で走ってきたのだろう息を切らせた兵士の声が背中に届く。
「どうしました」
「甘将軍がお戻りに   
 最後まで聞かずに走り出した。
 凌統殿も私の前を走っていた。
 姿が見える。傷はあるけれど、五体満足で、何より生きている彼の姿が。
「甘寧ー!」
 凌統殿が掴み掛からんばかりの勢いで近寄っていった。
 私はそれを途中で立ち止まって眺めた。
 違う。足が、そこで止まってしまったのだ。
 これ以上近寄って声を聴けば、情けなくも泣いてしまいそうな気がしたから。
 凌統殿とにこやかに話している甘寧殿がふと私と視線を合わせる。
「よぉ! 陸遜」
 私は、何も言えなかった。
 言おうにも口を開いてしまえば本当に泣いてしまうと思ったからだ。
 そうしていたら甘寧殿が近寄ってきて私の首に手を回し、自分の胸へと引き寄せた。
「……心配させて悪かった」
「甘、ねい…どの…」
 伝わる心の音と直に響く声で視界がじわりと滲んだ。
「甘寧。何泣かせてんの」
「お、俺の所為かよ!?」
 私よりも背の高い二人が頭の上で早速喧嘩を始めそうな気配を見せている。
 この日常が消えてしまうこと、温もりが消えてしまうことがどんなに恐いものなのか改めて知った。
 もう震えたくはない。つぶれそうな思いはしたくない。
 だからこそ更なる智を求めなけえばならない。
 大切な、人を守る為に   



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「決意」2006.03.17up
全然絡みもなく萌えもないなこりゃ…。次はちょっと色気ある話になるかも。